エピソード
Vol.12
那覇西クリニック 玉城 研太朗 乳腺外科医
医療の現場から沖縄の理想を追求する
動画の内容
- 医療現場での専科と医師会理事としての仕事
- 父の背中を追いがん医療の道へ
- 新型コロナウイルスとの闘い
- スタッフから見た玉城先生
- 医療を軸に考える沖縄の未来
那覇西クリニックで診療部長を務める傍ら、那覇市医師会理事、沖縄県医師会理事、東北大学大学院医学系研究科の非常勤講師を兼任し、医療現場の最前線で活躍する玉城 研太朗(たまき けんたろう)氏。専門の乳腺・乳がん医療では米国へ留学するなど日々研鑽を積む一方、医師会理事としては健康診断の啓発活動を担うとともに、大腸がん検診の無料化推進にも尽力した。
玉城氏が医師を志す道標となったのは、クリニックの理事長を務める父・信光氏。物心がついた頃には父の背を追っていたという玉城氏のルーツ、そして医師として多くを学んだ東北での体験を振り返る。
2020年2月、県内での新型コロナウイルス感染第一例目が報告されてからは、感染対策にも奔走することとなった玉城氏。医師会が総力で感染拡大抑止に追われる中、時期は瞬く間にゴールデンウィークへ。一進一退の攻防戦を続けていた中で、何万人という渡航者が来沖すれば、感染拡大の大波は避けられない。目前に迫る危機を回避する契機を生んだのは、玉城氏の行動力だった。
また、医療従事者として、かつて国内随一の長寿県であった沖縄の姿を取り戻さなければならないと語り、現状の問題点に言及。短期的・長期的の複眼的視点での取り組みが必要とする玉城氏の構想として、「沖縄・アズ・ナンバーワン」というキーワードを挙げる。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」をモチーフとした言葉の真意、そして玉城氏が描く沖縄の医療の理想形とは――。“ワクワクする沖縄の夢の実現”に向けてイメージを広げ、活動する姿を追った。
公開日 /
1975年生まれ。現在、那覇西クリニックで理事長を務める父・玉城信光氏の背中を追い、幼少期より医師の道を志す。1994年沖縄尚学高校卒業、2003年信州大学医学部卒業。2003年4月から2006年3月まで、宮城県の大崎市民病院にて外科医として勤務。その後、乳腺診療・乳がんの研究をより深めるため、2006年4月に東北大学大学院医学系研究科腫瘍外科学講座大学院に入学し、2009年9月に東北大学医学博士の学位を取得。2009年10月から東北大学乳腺内分泌外科に勤務した。2011年3月には東日本大震災に遭遇、外科医として第一線で復興活動に携わる。
2011年10月に帰沖し、那覇西クリニック乳腺科勤務。2012年1月から、東北大学大学院医学系研究科非常勤講師を兼任。2015年にはアメリカ・スタンフォード大学へ留学、乳がんの診療、研究に携わる。2016年、那覇市医師会理事就任、2018年からは沖縄県医師会理事も兼任する。
現在は専門である乳腺診療およびがん医療の研究環境整備に努める傍ら、県医師会理事として新型コロナウイルス対策や長寿県復活に向けた啓発活動など、多岐にわたる分野で活躍する。近著に『夢と希望に満ち溢れた沖縄県の未来を創る、というお話』(ボーダーインク刊)。