エピソード
Vol.20
株式会社フラッシュエッヂ 知名 健一 Webデザイン・システム開発
不測の苦難をプラスに変える
動画の内容
- フラッシュエッヂの事業とサービス
- デザインスキルを活かしてweb業界に転職
- 世界初のシステムを開発し起業へ
- 苦難の先に勝ち取った信頼
- スタッフから見た知名社長
- フラッシュエッヂの理念と未来
「半歩先のライフスタイル&ワークスタイルを社会へ最適化する」を経営理念に掲げ、Webデザイン・システム開発事業、レンタカー・ゴルフ場の予約サービスのプラットフォーム運営事業、行政・自治体等における公共事業のWebサイト制作・システム開発などを手掛ける株式会社フラッシュエッヂ。その陣頭に立つのが、代表取締役の知名 健一(ちな けんいち)氏だ。知名氏の半生、そしてフラッシュエッヂが歩んだ歴史は、苦難を逆手に取ることで上昇への加速度を増していくものだった。
知名氏とWeb業界との出会いはインターネット創成期の90年代末、即座に世界と繋がることができるWebの世界に魅力を感じ、未経験ながらWebデザインの業界に飛び込む。独学でWebデザインを学ぶ中、ある失敗をきっかけに世界初のシステムを企画・開発し、大きな成功体験をつかむと共に自身の社会環境を広げていく。
次第に金融業界への魅力を見出した知名氏は2008年に独立し、フラッシュエッヂを立ち上げる。会社の歩みを回顧して知名氏は「2つの苦労があった」と話す。1つはほとんど皆無だった県外企業への営業活動。そしてもう1つは初めて携わった公共事業で起こった、幹事企業の倒産に伴う事業遂行責任者の移行だった。不測の事態を目の前にして、知名氏はどのように危機を乗り越え、信頼を勝ち得たのか。
そして知名氏とフラッシュエッヂが取り組む「半歩先のライフスタイル&ワークスタイル」へのアプローチは、実店舗の自動化・省人化だという。その根底にあるのは、2100年の人口推移予測に基づいた将来のビジネス課題を解決していくという視点であった。
公開日 /
インターネット創成期の1998年、グラフィックデザイナーからの転職でWebデザインの業界に飛び込む。その後、企画段階からWebデザインに携わっていくことでマーケティングを学ぶ。在職中、世界初のレート予測システムの企画・開発を手掛ける。
2008年に独立し、那覇市内に株式会社フラッシュエッヂを設立。2013年、企業として初めて公共事業に参画し、Webデザインおよびシステム開発等を担当。年度途中から幹事企業を引き継ぎ、事業遂行を完了する。2015年よりゲームグラフィック事業に参入、同時期よりゴルフ場やレンタカー予約のプラットフォーム運営事業を手掛ける。
「半歩先のライフスタイル&ワークスタイルを社会へ最適化する」という理念を掲げ、目下、省人化・自動化の未来にアジャストするツールの企画・開発に取り組む。