エピソード
Vol.2
株式会社Link and Visible 豊里 健一郎 IT企業
未来や課題を可視化させる
動画の内容
- 社名の由来
- 沖縄で起業した理由
- 仕事での拘り
- 今後の展望
コザから世界へ羽ばたく起業家を輩出する――熱い想いを胸に秘め、スタートアップ系イベントの運営やメディア出演など、多岐にわたる活動を展開している豊里 健一郎(とよさと けんいちろう)氏。現在は起業家支援施設「Startup Lab Lagoon」の代表として国内外を含めたエコシステムの形成を目指し、各分野の若手リーダーと共に活動を行っている。
学生時代は両親の勧めもあって中国に留学。その後15年間を中国で過ごした。現地の大学を卒業後、広東省深圳市の現地法人に就職。
IT部門の責任者として20人以上のスタッフをまとめる一方で、30歳までに起業したいという目標を持っていた彼は、故郷・沖縄が台湾や香港などのアジア諸国と日本の中間に位置するという点にチャンスを見出して帰郷。
2017年に地元の沖縄市で株式会社Link and Visibleを創業する。
先の読めない現代社会において、データの利活用によって未来や課題を可視化し、既存のビジネスに新たな価値を付加して変革をもたらすという信念の下、事業を推し進めている。
また、Startup Lab Lagoon代表としては働き方の多様化を見据え、日本各地のエンジニアが集えるようなコミュニティの形成を目指し、観光事業に依存しない沖縄への変革を標榜して、コザから日本、そして世界へと活躍する起業家をこれまで以上に輩出していきたいという意欲も抱く。
起業家支援施設の代表として、起業を夢見る若者のバックアップや、沖縄と日本、さらにアジアを繋ぐスタートアップハブ形成に向けた活動を積極的に行う一方、自身もまた起業家のひとりとして沖縄から世界へ活躍の場を広げるべく、仲間を牽引している豊里社長。彼の揺るぎない情熱は、若手スタッフにも好影響を与えている。そんな豊里氏を突き動かす原動力となっている考えや、将来の展望などを聞いた。
公開日 /
1988年生まれ、沖縄県沖縄市出身。
幼少期は、沖縄で初めてアーケード化した商店街として知られる一番街で育つ。
その後、両親の勧めで高校から中国に留学し、現地の大学に入学。卒業後も中国に留まり、広東省深圳市にある日系物流大手に就職。
当時急激な経済発展が進んでいた中国にて最先端のIT技術に触れるとともに、会社ではIT部門の責任者を担当するなどプロジェクトマネジメントを学び、刺激的な15年間を過ごす。2017年、海外チームと連携した受託開発・自社サービスの開発を行う株式会社Link and Visibleを設立。
現在は起業家支援施設「Startup Lab Lagoon」の代表となり、沖縄がアジアのスタートアップハブとなるべく、国内外を含めたエコシステムの形成を目指して多岐にわたる活動も展開。2021年6月、遊休資産をシェアすることで経済の活性化を目指す「シェアリングエコノミー協会」の沖縄支部長に就任。